進学予定のM2学生に、研究室紹介文と兼ねて、以下、博士後期課程および学術振興会特別研究員DC申請について書いてもらいました(金川)。

はじめに

学振DC1に採用内定しており、博士課程進学を決めた私が、学振に向けてどのような戦略で修士課程の研究を行ってきたか、および金川先生にどのような指導をしていただいていたか、をメインに書きたいと思います。一般的な金川研での生活については過去に先輩方が書いてくださっているので、そちらを参照ください。
主に学振について書きますが、学振を目指すうえで、4年生から研究室を変えない修士の学生より1年短いので、それなりに詰まったスケジュールであることを先に断っておきます。当時は少し大変と思うこともありましたが、今から振り返れば、短期間に先生との連携を密に取りながら研究を進めることができました。さらに学会にも多数参加することができ、研究についてたくさんの経験を積めたのが良かったです。学会については交通費および宿泊費の自己負担はありませんので、意志さえあれば、発表したいだけ発表することができます。学会参加・発表にかかる費用は、金川先生の研究費から出していただいており、恵まれた研究環境であることは間違いありません。

目次

1.自己紹介
2.博士課程への進学について
2-1. 進学を決めた理由
2-2. 進路の懸念
2-3. 金銭面の懸念
3.学振についての基礎知識
3-1.学振の制度内容
3-2.学振採用には何が必要か。
4.学振採用を目指すことを念頭に置いた私の研究スケジュール
5.学振の申請書をどう書いたか。
5-1.研究計画を書くにあたって苦労した点
5-2.研究遂行力の自己分析

本編

1. 自己紹介
学部は茨城大で、大学院から筑波大(金川研)に来ました。学部時代の専門は数学・情報数理で学士(理学)です。4年生で所属した研究室は流体力学関連で、水面波の方程式の数値計算と、砕波条件についての研究に取り組みました。

2-1. 博士課程への進学を決めた理由
大きな理由は二点あります。
一点目は、学問的な興味もありますが、特定の研究テーマに対するこだわり、というより研究活動を通してもっと漠然とした問題解決能力・仮説構築力などを身に着けることに興味がありました。これは修士の2年間だけでは短いと考えました。修士入学直後では、博士課程進学:就職の意思は半々でした。数か月経過後ぐらいから85% : 15%で進学を考えるようになり、学振をターゲットとした生活を送りました。
また、将来的に海外に住みたいと考えている事も理由です。というのも、博士号を持っていると、海外の労働ビザが通りやすい、またアメリカなどでは永住権を取りやすいと言われています。もちろんこれだけが進学理由ではありませんが、日本以外にもグローバルに活動するために、一つのメリットであることは間違いないです。今は事情があり、長期間日本を離れることは難しいですが、博士課程の間に海外に行けるチャンス(学会など)があれば、積極的に参加するつもりです。

二つ目の理由は、消極的ですが、就活との兼ね合いです。修士課程修了後に就職する場合、大学院入学後すぐに(夏頃?)就職に向けた活動を始めるのが通常と思われます。(違ったらすみません。)私は少し例外的かもしれませんが、学部と修士で、理学から工学へとかなり専門を変えました。よって、入学直後は、院の授業についていくためにも、研究のためにも、工学の基礎から新たに学ばないといけません。ここで、学振を目指しつつ、就活も行い、博士進学と就職の両方の可能性を残しておくことも理論的には可能だったかもしれません。しかし、専門基礎科目の習得と学振を目指した研究と就活をすべて同時に行うことは当時の私にはかなり難しいと思われました。就活に時間を割ける余裕がないと判断し、就活との両立を諦め、研究のみ行うこととしました。

2-2. 進路の懸念
進学を躊躇する理由として、修了後の進路について上がることが多いと思います。私は、学部時代は博士課程進学について微塵も考えていなかったので、修士に入ってからいろいろ調べました。博士までいくと就職できない、とネットの記事を見かけることもありましたが、これは実際には分野によるみたいです。もっと言えば個人の能力次第で、博士とひとくくりにできるものでもないので、私はあまり悲観的には考えてはいません。特に進路について明確な答えを出せていませんが、金川研での生活を通して、一年前より成長した実感も確実にあるので、今は研究をしっかり行いつつ、大学の開催しているキャリア説明会などにも参加し、興味の向く方向(社会に応用する先)を具体的に探しているところです。

2-3. 金銭面の懸念
進路と同様に、金銭面での懸念もよく聞きます。実際、学振ありの博士課程と比較して、修士課程で就職するほうがよい給料がもらえるとは聞きます。おそらく正しいと思いますが、私は就活を経験しておらず、企業における標準的な給料すら知らないので、どれだけの差があるかわかりません。学振は月額20万円(税引き前)です。学振に採用された博士学生は、独立生計ですので、年収の基準よって授業料はありがたいことにかかりません。よってすべて生活費に使うことができ、贅沢はできないかもしれませんが、生きるのに十分と私は思っています。DC1に採用されたので良かったものの、もし採用されていなければ、私の場合はほぼ確実に進学しない選択をしたと思います。(一応学振以外にJSTなどの支援もあり、昔に比べれば博士課程への支援は手厚くなっていることには触れておきます。)データとして、2006年ごろから現在までDC1全体での応募者数が増加傾向ですが、2010年からは年々採用率が低くなっています。2024年度採用かつ私の出した領域だと採用率は13.7%でした(電子申請システムによれば)。

3. 学振についての基礎知識
3-1. 学振の制度概略
私が採用内定している学振DC1は、正式には日本学術振興会の「特別研究員制度」のことです。DC1は修士2年の5月頃に申請書を提出し、そこで採用されれば、博士課程3年間の研究奨励金20万円(ここから税金が引かれますが)+科研費が支給されます。よって経済的な心配をあまりすることなく研究に専念できます。申請書には、これまでの自分の研究、今後3年間の研究計画、研究遂行力の自己分析などを書きます。

3-2.学振採用には何が必要か。
一言で言ってしまえば「業績」だと思っています。もちろん申請書の研究計画も重要なのは間違いないですが、業績もそれなりの重みでの評価の対象となると私は認識しています。ここでの「業績」とは、論文、学会発表、受賞などです。いずれの業績も、日本語より英語で論文執筆・発表の方が高評価です。研究計画は申請直前であっても書くことは可能な反面、業績を積み上げていくには研究に集中して取り組むことを含め、どうしてもある程度の期間が必要です。学振は例年修士2年の5月に申請書提出なので、(学部4年に研究室所属すれば)2年+αの期間の研究期間の業績で申請します。

4.学振採用を目指すことを念頭に置いた私の研究スケジュール
大まかには、学会発表を積極的に行い、修士1年の終わりまでに論文採択を目指す計画でした。
最終的に提出した主な業績は
・査読付き論文1本(筆頭)
・国際会議論文1本(筆頭)
・国際会議発表2件(筆頭)
・国内学会発表7件(筆頭6件、非筆頭1件)
・学会受賞1件
でした。(申請時点5月での採択済のものも含む)

私の実際の学会発表と論文執筆のスケジュールを示します。私は大学院から入ったので、修士入学を1年目とします。
[大学院:1年目]
2022年4月:修士課程入学
大学院の講義も履修しつつ、さらに専門を変えたので、研究に必要な知識を得るのに工学の基礎知識も並行して1から学習しました。また、このとき、研究室の先輩方の論文を読み、研究内容への理解も進めています。先生とはteamsで概ね週一回の定期的な打ち合わせの他、随時チャットでの相談も可能です。私は入学前の3月頃から一定頻度で打ち合わせをしてもらっていました。

5~7月:GW前には研究の大まかな方向性が決まり、先行研究の計算を再現するために、実際に手を動かして計算を始めました。その後テーマの細部も確定しました。計算を行い、理論解析を進め、結果のグラフを作成しました。8月に学会発表を控えており、少なくとも発表できる結果が得られるように、研究の比重を高めて取り組みました。

8月:ある程度の成果も出たので、初めての学会発表(8/19)を行うにあたり、発表に向けて2週間ほど前から準備しました。人前での発表を避け続けてきた私にとって大きなハードルでしたが、発表や、質疑を通した気づきが自分の研究をブラッシュアップするのに必要であることは言うまでもなく、この期間は集中して金川先生と発表練習を行い、しっかりと準備しました。
発表当日は、午前と午後、別の学会(※)で計二回の発表を行いました。(疲れました。)コロナ禍ということもあり両方ともオンラインで開催されたので、このようなことが可能でした。例年はこの二つの学会の日程は離れるのですが、この時は偶然にも同じ日程で開催されました。今はオンライン開催の学会は減ってきていて、あまりないとは思いますが、初めての学会発表を行う際、理論的に可能であったとしても同じ日に2回発表するのはお勧めしません。
(※)混相流シンポジウム2022と機械学会2022年の茨城講演会です。混相流シンポジウムの方では、ベストプレゼンテーションアワードというプレゼンの賞を頂きました。

9月:論文を書くにあたってメインの結果が出ました。月末に流体力学会 年会2022で発表を行いました。場所は京都大学で、この学会が私にとって初めてのオンサイトでの発表でした。オンラインとは勝手が異なり、反省点が多い発表となってしまいましたが、発表後には質疑と、自分の発表の振り返りを研究室に向けて共有するので、回を重ねるごとに発表がよくなっていく実感があります。

11月:超音波シンポジウム2022で発表を行いました。場所は同志社大学で、自分の研究に対して実験ご専門の先生からクリティカルな質疑を頂き、周辺知識に対する理解の甘さを痛感しました。この先生とは講演後に2時間ほど1対1で議論をさせていただき、沢山のアドバイスを頂くことができました。話は変わりますが、この頃からは海外の共同研究者とも(主に電子メールで)やり取りをしています。テーマによるとは思いますが、このように、金川先生以外にも様々な先生と議論をすることもできると思います。

12月:論文を執筆し始めました。金川研では先輩方の多くが論文を執筆されていたので、完全に0からではなく、それを参考に書きました。とはいえテーマが異なるので、しっかりと自分の研究の新規性・結果の考察を伝えることを意識しました。

2023年1月:
年末年始は特に金川先生と頻繁にやり取りしました。論文が出来上がったら、英文校正に出し、その後、投稿前に入念に最終チェックをしました。論文はPhysics of Fluidsというジャーナルに投稿しました。査読を待ちます。

2月:査読者からのレビューが返ってきたので、レビューに対応します。この論文の場合、4人の研究者の方に査読していただきました。それぞれの査読者からのレビューへの返答を用意し、論文の微修正を行います。修正を終えたものを再びジャーナルに提出し、採否の連絡を待ちます。

3月:内容に本質的に関係ない軽微なミスの修正が要求されているものの、この時点で、論文の採択(アクセプト)の通知がきました。査読、著者による修正、採択の如何が決まるまで短いものでも数か月、場合によっては年単位かかるものあり、この期間については我々にはどうしようもできません。一般に、論文は却下(リジェクト)になる可能性もあり、その場合は修正して別のジャーナルに投稿しなおします。そして、査読者からのレビューに答えるプロセスをもう一度行わないといけません。もし何度もリジェクトになり、次の5月までに採択が間に合なければ業績として書けません。しかし、今回は初めに投稿したジャーナルで採択が決まり、極めて理想的なスケジュールでした。
時期をほぼ同じくして、学振の申請書を実際に書き始めました。ただ、毎年大幅に書くことが変わるわけではないので、ざっくり何を書くか、構想自体は少し前から考えていました。

[2年目]
4, 5月:年度が変わりましたが、春学期の講義が始まった以外に特にやることは変わりません(講義はM1で取り終えるパターンが多いようですが、私はM1とM2で概ね均等に履修しました)。5月中旬ぐらいに締め切りがあるので学振の申請書のクオリティを上げる作業を行います。

7月:さて、申請書提出後にはシステム情報工学研究群の博士課程への内部進学制度(推薦入試)があり、私はこの推薦入試で合格を頂いたのでこのタイミングで博士進学が決まりました。出願時に学振の申請書も提出しましたので、申請書も合否の一つの指標であると思います。試験当日にはプレゼンを行いました。推薦入試は学部から大学院修士への入試と同じ時期に行われます。

9月:月末にDC1の採用内定通知を頂きました。

5.学振の申請書について
ここからは申請書について少し詳しく紹介します。
5-1.研究計画を書くにあたって苦労した点
単純に、これから三年間で行う研究について分野外の人でもわかりやすいように書くのが一番難しかったです。金川研の研究は主に理論研究であり国内には同様の研究をしている研究室はなさそうに見えます。このことを踏まえると、審査員は間違いなく分野外の人であると言えます。しかし、ここまでの学会発表・論文執筆を通して、自分の研究を都度振り返った経験は、申請書を書くうえでプラスに働きました。
また、研究計画自体にも苦労しました。分かりやすさを重視し、簡単な計画を書いてしまうと、この程度で新規性があるのか?この研究をやる意味があるのか?と言う疑問を持たせてしまいます。一方で、風呂敷を大きくしすぎ、極めて壮大な計画を立てればこのような実現性のない計画にお金を出す意味はないと判断されてしまいます。3年間で達成したい計画と、新規性とをうまくバランスをとって、伝わる申請書にするのが難しかったです。私の場合は今までの研究の延長線上で自然と考えうるテーマを一つ(おそらく成果が出る)、これまでの研究でカバーしていなかった、より発展させたテーマを一つ、また3年間でギリギリ達成できそうな挑戦的なテーマを一つというような構成としました。

5-2. 研究遂行力の自己分析
すでに何度か書いていますが私は大学院から入学したので研究期間は一年と少しです。一般的に研究期間が短いことは業績を上げることに対して不利に働きます。ただ、申請書では逆手に取り、アピールの材料としました。具体的には、一年でこれだけの業績を上げることができたので、今後三年間もこれまで以上に論文を書ける可能性があり、そして学問分野に貢献したい、というような主張を行いました。